人の夢を笑うな-山口のとある会社員のブログ-

普段生活しながら気づいた事をブログにたまーに書いてます

"将に将"たる者の要件

 

 

とある本を読んでいて勉強になる事があったのでメモとしてブログに書いておく。

 

 ロシア軍の総司令官クツーゾフ将軍は、非常に魅力ある人物である。風采は、いっこうにあがらない。しかも、ボロジノ戦の時はナポレオンが四十三歳の男盛りであったのに対し、クツーゾフは、六十七歳の高齢であった。馬にも乗らなければ、会議の席で居眠りばかりしている、と批判する向きも多かった。皇帝の覚えも、決していいとはいえぬ彼であった。

 そのクツーゾフが、国の命運をかけた大戦争の総司指揮官に選ばれた理由は、いつにその衆望にあった。"愚にして賢"なる民衆の眼は、この伸(の)るか反るかの大危機にあって、よく国家の柱石たりうるのは、この歴戦の老将軍以外にないことを、鋭く見抜いていたのである。

 その声望のよって来るところは、どこにあるのか-。トルストイは、クツーゾフが「腹の底からロシア人であったからである」としている。たしかにそのとおりであり、だからこそ、ロシアをロシアたらしめた対ナポレオン戦争という運命的な出来事にさいして、クツーゾフが、優れたリーダーシップを発揮しえたのであろう。

 それと同時に、私が留意すべきであると思うのは、クツーゾフにあっては、ロシアへの愛情が、人間愛や人類愛といった普遍的な感情と少しも矛盾せず、まっすぐに回路を通じているということである。トルストイはクツーゾフを決して英雄として扱わず、人間味あふれる老将として共感を込めて描いているが、その人間味が、まさしく普遍的価値へと連なっていることに注目せざるをえない。クツーゾフの一念の奥底は「平和」にあって「戦争」にはないのである。この、いわば"大乗的なるもの"こそ、クツーゾフをして"将に将"たらしめている最大の要因のように私には思えてならない。

 

 

僕は目的があるとどうしても視野を狭めて考えてしまいがちだったので、最後にあった"大乗的なるもの"まで深く考えながら行動していきたいと思った!